RageAgainstTheMachineとはロサンゼルス発の革命と抵抗を謡い社会正義を求めるなど政治的なスタンスで知られる90年代米国を代表するヘヴィバンドです。

ロゴス(LOGOS)

フジロックのインパクトはレイジとともに

出演回数:2 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 2 回

ヒップホップ×ツェッペリン

多大なるインパクトと共にシーンに登場したのが1992年。世はまさにグランジ旋風のダウナーな雰囲気の中でレッチリと共に多ジャンルを呑み込むミクスチャーを音楽的にも思想的にも毅然と取り入れて瞬く間に大人気バンドとなったのがこのレイジアゲインストザマシーンなのです。
この両バンドが初年度のフジロックで揃い踏みしたらそりゃもう行くしかないでしょ…。
まだ存在自体はあったもののインターネット環境が整う前の凪のような時代。情報を得るには最適だったのは雑誌媒体という時代がありました。
某雑誌に載った日本で開催されるとんでもなく豪華なメンツが掲載されたオルタナフェスの文字に心躍ったのはもしかしたら人生のハイライトかもw
初見では信じられなくて、これフィルムコンサートか何か?と訝しく思ったりしましたが。
当時未来日だったレイジが野外で見られる、同時にニルヴァーナの悲劇的な解散後に引きずるような形で活動を始めたFooFightersやフルシアンテ脱退後にグランジ系最強ギタリストとの称号を持つデイブナヴァロが加入していたレッチリ、二日目もローファイ王子のベック、当時隆盛で売り上げも別格だったポップパンクのグリーンデイ、世界的にも売れに売れていたダンスとハードコアの融合プロディジーなどなどその相乗効果は凄まじく秒で郵便局に振込にいったのでした。
※ネット申し込みなど影も形もなくまず郵便局に先着で振り込んでチケットを確保するような牧歌的な時代でしたねえ。
そんな綺羅星のようなメンツの中でもピカイチの存在感を示していたのがレイジでした。
当時は日本国内での知名度はそこまで高くはなかったはずですが、市井のバンドへの影響力という点ではとてつもなく大きなインパクトをもって日本のアンダーグラウンドシーンを席巻していました。
レイジみたいな方法論を試しているバンドが下北辺りには五万といました。そんな時代です。
常に新しい価値観を世に問い続けていたロックというジャンルが出涸らしのような存在になってしまった現在において、おそらく最後のあだ花だったのがニルヴァーナ、グランジそしてレイジというバンドでした。
今になって振り返ってみると現在も再結成を重ね活動をしている辺り、2020年代になっても当時を知らない若者から来日待望論が出てくる様を見ても、その革新性に固執しているのはメンバーもそうでしょうし世の中も欲しているのではないでしょうか。
それを停滞と呼んでしまえばそれまでですが、その後に続く世代が大きな渦を巻き起こせなかったツケを未だにレイジ世代に背負わせてしまっているのは不幸なんだと思います。
とはいえ政治的には全くもって環境が変わらず為政者は相変わらず見えないところでやりたい放題なわけでして。
日本において何か社会的な問題が起きるたびに清志郎の顔や言葉が輝きを増すことと構造的には同じなのです。
そろそろ変わらなきゃね…
Number55