日本最大の海外アクト招聘会社のウドーが満を持して立ち上げたフェスについて

ロゴス(LOGOS)

ロックオデッセイ(2005)&ウドーミュージックフェスティバル(2006)!

超大物を集めたフェスの試金石

時はロックフェスへの期待と認知が高まった00年代半ば。満を持して国内最古参かつ大物アクトを中心にライブを主催してきたウドー音楽事務所が立ち上げたフェスティバルが国内洋楽フェス第三の対立軸となるよう産声を上げました。
従来のフェスとは一線を画し、オルタナ系のバンド達よりも遥かにベテランのアクトを集めて豪華絢爛の面子となり話題を集めました。
初年度はワールドカップの熱狂も冷めやらぬ日産スタジアム、関西は大阪ドームでの開催となりました。
いきなりの数万規模の集客を見込んで大きな手に出て、それなりの成功を収めましたが都市型かつワンステージの運営で他フェスとの差別化が叶うまでには至らないというところが正直な感想だったでしょうか。
そこで翌年には場所を富士スピードウェイに移し、ロケーションにも気を配りつつ複数ステージで開催されることとなりました。
残念ながらこの流れは2年で終止符が打たれてしまうのですが、もう2年くらい我慢して開催していたら別のマジックが生まれていたのではないかと思われ、残念で仕方ありません。
他国でもなかなかフェスには出ないような大物がブッキングされることで国内外からの注目が集まり、相乗効果が生まれたのではないかと推測します。
それが出来るのが世界を見渡しても信頼され実績もあるウドー音楽事務所でしか成しえない事柄であると思っているのですが…もし続いていたらと考えると勿体ない感じさえします。
しかしながら時代の流れもあり、志半ばでとん挫してしまいました。

一部広告会社の戦略の弱体化

ゼロ年代半ばから始まった流れ、日本国内では人口減少が顕著となりネットの普及によりテレビを始めとした既存メディアの影響力が相対的に低下していく流れが顕在化したのが大体この頃です。
SNSによって個人の物言いが届きやすい時代になるとメディアが本当に正しいのか疑問が生まれるようになりつつありました。
世界中の世論を牛耳ってきた一部広告会社の影響力が低下し化けの皮が剥がれたことで信頼も一気に失うこととなりました。
会議室の中で決められた偽のトレンドに振り回されるような時期はとっくに過ぎ去り、SNSで拡散する生の情報により純度が研ぎ澄まされたトレンドを一方的にコントロールすることが不可能になる時代となったのです。
一般ピーポーには面白い時代になりましたが、広告で世界を動かしてる気になっていた人達には全く面白くない時代になったんでしょうね。
Number55