フジロックは1999年3年目にして以降定着することになる苗場での開催となり日程も初の3日間となりました。

ロゴス(LOGOS)

フジロック・日本夏フェスの雛形はここが出発点

1999-07-30

グリーンステージ/GreenStage

ホワイトステージ/WhiteStage

フィールドオブヘブン/FieldOfHeaven

リーバイスニューステージ/LevisNewStage

バージンテント/VirginTent

1999-07-31

グリーンステージ/GreenStage

ホワイトステージ/WhiteStage

リーバイスニューステージ/LevisNewStage

フィールドオブヘブン/FieldOfHeaven

バージンテント/VirginTent

1999-08-01

グリーンステージ/GreenStage

ホワイトステージ/WhiteStage

フィールドオブヘブン/FieldOfHeaven

リーバイスニューステージ/LevisNewStage

バージンテント/VirginTent

最も覚えてるのは何故なのだろう?

その後の数十年のそれぞれの年が交じり合おうような記憶になってしまうのは仕方のないことですが、やっぱり一番記憶に残る苗場のフジロックは初参加した年で間違いないですよね。
自分にとってはそれはこの1999年のフジロックなのです。
時代背景としては、当時を知らない人にはなんのこっちゃなのでしょうが、例のノストラダムスの大予言が1999の七の月ということで、要するにその喪が明けたまさにその日にフジロックは開催されていたのでした。
その祝祭感たるや…まあ既に10年前には東西冷戦が解消して喫緊の核戦争の危機なんてものは雲散霧消していたわけで、そんなこと気にしてる奴は会場内に殆ど居なかったでしょうけど、大人の修学旅行のような気持ちで観客は生を謳歌していたのだと思います。ほぼ全員。
大小あわせて5つのステージとなり、現代と比べてもその規模は半分程度ですが、それでも過去2年より更にパワーアップしたアーティスト達。バラエティに富んだ音楽。全くチェックしたことのないアクトの素晴らしさ。そして天神山とは全く違う表情を見せる山の天気と自然。全ては生々しく色褪せることなく記憶の中で輝いています。
最初なんてそんなもんですよね。

細かいことも覚えているもんで

以下つらつらと。
今でいうパレスの辺りは駐車場でしたね、そこに車を停めていたし敷地内に敷き詰められたトイレのなんとも言えない匂いが強烈に記憶されています。
会場内のレイアウトもグリーン、ホワイト、ヘブンはほぼ導線も一緒で現状の形のままなように思います。
ところ天国のエリア及び川は立ち入り禁止となっていました。が、そんなの金曜の午後にはロープが破壊されて皆で涼んでましたけどねw
もちろんボードウォークなんて影も形もありませんでした。会場内はグリーンに行く道すがら以外は舗装さえされてない石がゴツゴツしていたとても歩きづらく雨が降ったら方々に水溜まりが出来るような未開拓のけもの道でした。
レッドマーキーの辺りに屋台が密集していてあそこの舗装されたコンクリートの広場の奥に新人さんたち専用のステージがとってもこじんまりとありました。
どっか漁れば画像出てくるんすかね?屋根さえないようなちょっと高いステージがぽつんとあったような気がしますが、記憶違いかもです。
いま屋台が立ち並ぶ砂利のエリアに大きなテントがあってそこで夜通しDJがプレイしていました。
米軍のセキュリティがたむろしていてナンパしていた記憶しかありませんがw
Number55