ブランキージェットシティ~日本ならでは、日本を代表する、こんな冠言葉さえ陳腐に響く強烈なインパクトを残しました

ロゴス(LOGOS)

BJCの鮮烈な足跡

出演回数:3 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 2 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 1 回

ブランキーの揺れ方

苗場でトリを飾り、それがラストライブとなったブランキージェットシティ。
映像でも残っていますし、実際にその場にいましたが(半分は裏見てましたがw)空気の震え方とか切り裂くような緊張感とか、ここは本当に日本なのかというような錯覚をおぼえるような強烈な体験だったと思います。
あれからもう20年経つわけですが、特殊な事情があったにせよ洋楽アクトも普通にブッキングされるようなロックフェスで自国のバンドがトリを張るのは同年のミッシェルガンとブランキー、後年のBzくらいで、そこには遥かに高い壁がそびえているわけです。
当時の状況を知らない若い人には奇異に思えるかもしれませんが、00年初頭では高確率でアリでした。
例えば現状でもKingNuや髭男、サチモス、米津氏などがそこの位置に肉薄しているのですが、最後のハードルを超えるまでには至ってないと思います。
うまく言葉にできませんが、背負っているものの大きさ重さがまだ足りないからなんだと感じます。
あるいはそこの地位をあえて目指してないようにも見えるのですが…世界から入ってくる情報量が半端ない現状では仕方ないことなのかもしれません。
状況があまりにもクリア過ぎて背負いきれないモノが目の前にあることが分かってしまうからなのかもしれません。
マスにいながらよりニッチな音楽を志向しているんですよね若い音楽家は。
まあ音楽に限らずどんな文化的ジャンルでもそういう傾向はあり、ニッチでも生きていけるからなのでしょうが。
大物志向のおっさんには厳しい時代になりましたw

イカ天現象

などというのが80年代の終わりから日本で起こりまして、バンドというおもちゃが若者が自分を表現する際の選択肢の一つになった時代がありました。
ブランキーも何故かというか世に出るまでの戦略としてなのでしょうが、テレビのオーディション番組で、そりゃそうだろうという圧倒的な評価で勝ち抜いていきました。
その後しばらくはそのテレビエンタメみたいなイメージがつきまとうのはバンドにとってはかなりマイナスだったと思いますが、バンドがキャリアを終えてみたらそんなことは些末な出来事であったんだなと思います。
あの番組の存在意義って何だったんだろうと、ブームが過ぎ去って残された人達の惨憺たる姿をみて考えさせられたりしましたが、そんなものに全く左右されなかったブランキージェットシティという存在が、バンドブームっつう甘い記憶をピリッとさせているのではないかとふと思うこの頃です。
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