1999年北海道最大のロックフェスティバル、ライジングサンが誕生しました

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ライジングサンロックフェスティバルinエゾ!北海道を全面に出した邦楽オンリーフェス

1999-08-21

メインステージ/MainStage

ド世紀末に北海道で初開催!

1999年といえばノストラダムスの予言の年、更にいえば7月が期限でしたから、その精神的危機?を乗り越えた翌月にライジングサンロックフェスティバルは誕生しました。
というと冗談に聞こえると思いますが、7~80年代の核戦争今すぐにでも勃発して日本の米軍基地に核爆弾落ちてくるんじゃね? という潜在的な薄~い被膜を張ったような危機感が所謂ベルリンの壁崩壊後もつきまっといた身としては、そしてそれは多分に同時代に生きていた人殆どにとりついていたのではないかと思ってます。
だからこそその時期を非科学的ながらも精神的に乗り越えてからの数年はミレニアムというなんとなく目出度そうなお祭りと相まってこのころに立ち上がった国内主要フェスの祝祭空間化に一役買っているのではないかと想像してしまうのです。
その中でもライジングサンが北海道という神秘的な地で立ち上がったのはエポックメイキングな出来事でありました。
北海道にはその立ち上げの経緯とかアイヌ人の存在など、日本でありながら異国の地、異文化の息づく地のイメージが強くあり、勝手ながらライジングサンにも思想的な意味合いにおいて特別な思いをどうしても強く抱いてしまいます。
それは同じ立ち位置にいるロックインジャパンについぞ出ることのなかったミッシェルガンエレファントとブランキージェットシティの90年代を代表する、もしかしたら現代まで爪痕を残し今後も強い影響力を持ち続ける両巨頭バンドが同時に出演(しかも積極的に、ロックインジャパンにはむしろ消極的に)したという事実が助長しているのかもしれません。

北海道いいとこ一度はおいで

※1999年には日本ハムは移転してきていたというイメージでしたが、2004年からなのですね…。
前年にコンサドーレ札幌がJリーグ正会員になりJ1を戦っていましたが降格してしまい1999年はJ2に舞台を移していました。
とはいえ北海道のスポーツ熱が高まっていたのは事実で、これがのちの日本ハムの招致に繋がったのはいうまでもないのでしょう。
そんな世相の中で北海道に日本を代表するロックフェスティバルが生まれたのは象徴的な出来事だったのではないかと思われます。

ライジングサンいいとこ一度はおいで

開催場所の石狩湾新港ふ頭ですが、Googleで見るとさすがに港近辺には何もないですが、街中からも近くアクセスはかなり良いようです。
この近さでオールナイトで音が出せるのなら開催環境はものすごく恵まれているといっていいでしょう。
幕張では都市部ならでは条例があって野外で深夜まで音が出せないようですから。
またライジングサンはテント泊が基本ですが、これなら最寄りのホテルで前後に宿泊すれば体調を整えやすくなって、とても良い状況を保てるので身体的な負担も少なくできますね。
夏の北海道なので財政目線では厳しいですが…とほほ。
お盆休みの時期的な問題もあり、首都圏から参加するには多少のハードルの高さは感じますが(フジロックと両天秤にかけてしまう個人的事情もあり)参加された方のお話を聞いていると悪魔的な魅力にあふれているのは間違いなく一度は参加してみたいイベントのひとつになっています。
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