フジロックは2000年で通算4度目の開催となりました。天気にも恵まれ砂埃と照り付ける日差しが印象深悪天候の兆候が一切ありませんでした。

ロゴス(LOGOS)

まだこのころはフジロック=雨ではなかった

2000-07-28

グリーンステージ/GreenStage

ホワイトステージ/WhiteStage

レッドマーキー/RedMarquee

レッドマーキー(深夜帯)/RedMarquee(Midnight)

フィールドオブヘブン/FieldOfHeaven

2000-07-29

グリーンステージ/GreenStage

ホワイトステージ/WhiteStage

レッドマーキー/RedMarquee

レッドマーキー(深夜帯)/RedMarquee(Midnight)

フィールドオブヘブン/FieldOfHeaven

2000-07-30

グリーンステージ/GreenStage

ホワイトステージ/WhiteStage

レッドマーキー/RedMarquee

レッドマーキー(深夜帯)/RedMarquee(Midnight)

フィールドオブヘブン/FieldOfHeaven

初年度の記憶も薄れ

舞い上がる砂埃と度を越えた日焼けで真っ赤になった若者のイメージがとても強いのがこのころのフジロックの特徴です。
まだ奥地へと続く導線が現在のように舗装されてなく、そういえば一時ウッドチップが敷き詰められてたと思いますが、2000年当時はまだ土の道でした。
ゆえに晴れて乾燥していると風とともに舞い上がり目が痛いほどの影響を及ぼした記憶しかありません。
雨も前年にパラパラと降っただけでこの年と翌年は一切降らなかったはず。
そんなこともあり、初年度の悪天候再びに備えて用意した雨具は全く活躍するそぶりすら見せず…とはいえ苗場に来て最初の数年は入り口で貰うゴミ袋を魔改造して雨具にする若者やそれを真似する一部外人さんもいましたねえw まだアウトドアメーカーに目を付けられる前なので、ガチ装備で固めてるようなお客さんも少ない時期でした。
殆どの人がコンビニや100均で手に入れた安物のビニール雨具を持っていて、ゴアテックスで武装する人は少数だったと思います。
年齢層も若かったからか肌がやたら露出していたような感じもします。水着のお姉さんも多かったかも。
露出が多いことと同時にタトゥーもよく目にしたような気も…もしかしたら現在とは客層自体が異なるのかもしれませんね。そういう客層は現在はウルトラに流れていることですしお寿司w

邦楽は苦境の現れか?

洋楽主体のフェスなのに邦楽アクトがトリとなることに対し、ブッキングに苦労したという評価を歴史は下すのでしょうが、個人的にはこの時期にミッシェルガンエレファントとブランキージェットシティがトリを飾ることに意味があったように思います。
この時期のこの2つの圧倒的存在感をなしていたバンドがいたこと自体が奇跡と言わざるを得ません。
正にこのタイミングでしかありえなかった意義を考えてみるべきだと。
サマソニ含めてその後をラインアップを見てみても、Bzくらいしかいないくらい狭き門になっているわけで。
もうひとつのトリがハイスタなら完璧だったと思います。ハイスタは前年に出ていて、当時は2年連続同じ人にはオファー出さないという不文律があったようですから、残念ながらその3つは揃いませんでした。
不文律といえばもうひとつ、この2000年からサマソニが競争相手として対立軸として立ち上がったわけですが、両フェスに同一年に出ることがないように調整されているということです。
この年を持ってブッキング競争が激化していくこととなります。
現にフジに出る「かも」とアナウンスされていたマッドカプセルマーケッツ、スネイルランプなどがサマソニに出ることによってフジのラインナップからは名前を消すこととなりました。
Number55