布袋寅泰は80年代は評価の高いバンドのギタリストとして、以降はソロアーティストとして着実に実績を積み遂には海外進出を果たすなど活躍し続けています。

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布袋寅泰~ソロからバンドまで

出演回数:3 回

  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 2 回
  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 1 回

頑なにボウイを再結成しないのは謎

ソロアーティストとしてもとんでもない実績を積み上げてきた布袋さんですが、常に待望されているバンドの中核を成していたいちギタリストとしての側面もあります。
しかしながら当時の喧騒は記憶にあるとはいえ後から振り返ってみてBoowyというバンドは絶頂も絶頂、これから輝かしいキャリアが始まるぜ!という頂点の段階であっさりと解散していることに震撼します。
単純にデータ的な部分を追っていくだけでも、どう見てもこれからリリースされる新譜がバンドにとって歴代1位となるであろうことは約束されていたようなものなのに、粛々とその地位を放棄していることの凄さよ。
世界を見渡しても最もカッコいい解散のタイミングをしたバンドのひとつであるといえます。
以後何度も何度も再結成の噂は駆け巡り、メンバー全員まだ音楽業界でお仕事していることで環境は整っているし、更には東北の大震災など再結成するに足る理由付けなんていくらでも作り上げることが出来る状況でありながら、布袋氏とヒムロックの競演さえないという徹底ぶり。ヒムロックはフェス関連には関わらないことで神話性が高まっているようにも思います。
そうこうしている内に氷室さんはご病気によりライブを制限してしまいました…なんとかフェスにBoowyとして引っ張り出せれば…布袋さんとの競演だけでも実現できるなら…どのフェスでもトリになるのは間違いのないところ。
いつか実現するのかしら。期待して待ちたいと思います。
さてそんなに何回も参加しているわけではない日本のフェスと布袋さんですが、中止となった第一回の天神山の2日目にラインアップされていたのは周知のとおり。
その流れもあり翌年の豊洲のフジロックで演奏をしています。
同じステージに日本人アクトはミッシェルガンエレファントのみ。日本人アクトでは最も深い時間での演奏となりました。
コーンとイアンブラウンに挟まれても本領を発揮できるのは彼だけ!とばかりの堂々とした出で立ちだったことが記憶にあります。
そして10年以上のブランクを経た2011年。ライジングサンのステージに登場することに。メインステージのトリとして演奏を行いました。
2011年。震災が起きたことが影響しているのか定かではないですが、震災復興支援名目で同年にコンプレックスを復活させるなど災厄を経ての活動があったのは事実。確かこの辺りのタイミングでBoowy待望論が渦巻いていたのは記憶に新しいところ。
ライジングサンには2016年にもラインアップに名を連ねており(ちなみに2回ともトリでの演奏となりました)、このフェスとの親和性の高さが伺える次第です。
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