イギーポップが参加した日本の夏フェスはフジロックのみ。その活動の歴史自体が既にオルタナティブなためオルタナフェスとの親和性が高いのです。

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伝説の男イギーポップ

出演回数:3 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 3 回

イギーポップ~セカンドスロットが似合う男

世に知られる活動をするようになったのが1968年。まだアメリカではパンクのパの字もないような時代に既にパンク精神に溢れるパフォーマンスで度肝を抜き、もしネットの発達した時代だったら瞬く間に世界中に拡がるような過激な存在でもありました。逆に言うとそんなシームレスなものがあるならそこまで過激なことはできなかったかもですがw
過激さはジムモリスンの直接的な影響というのも驚きですが、当時のアメリカを取り巻く状況。ベトナム戦争だったりジミヘンやドアーズが現役で刺激的な作品が音楽に限らずあらゆる表現形態から次々と出てくる創造的な時代にとてつもない爪痕を残していることが最早到達不能な領域と言わざるを得ません。
どんなに現代ヘロヘロしていてもその経歴だけでご飯何杯もいけることの強みがあるだけでも凄いのに現役感もバリバリあるのがまた…いつ衰えるのだろうと脅威すら感じます。
60年代から70年代前半にかけてのストゥージズだけでも伝説級なのに、その後転身したソロ活動でも表現の核は全く錆びつかずヒリヒリとした作品を次々と発表します。
初期の活動はただパンクという言葉が無くカテゴリが無かっただけで真にパンクだったと言わざるを得ません。それはMC5やラモーンズやベルベッツにも冠される言葉ではありますが、イギーポップというキャラクターがその極致に居たのは隠しようがない事実なのです。
とはいえその後のソロ時代がキャリアの大半を占め、50年近くサバイブして常に作品を発表し続けます。
70年代、80年代、90年代、00年代、10年代と全てのディケイドで活動が停滞したこともなく常に新しい音楽にアンテナを張ってその時代にイギーポップはどういう音楽を創るのか常に自問自答しながら一定のクオリティを保った表現をし続けている殆ど唯一の存在といっても過言ではありません。あボブディランがいたか、対照的な2人ですがその2人くらいなもんでしょう。
一番売れたアルバムが2016年のものってどんだけw
そんなレジェンドがフジロックで見られるのは幸せでしかなく、2度のホワイトステージトリで両方ともビョーク裏というのも伝説に拍車をかけるエピソードとなりました。
静かめの曲も多いビョークのステージで遠くから聞こえるイギーポップの爆音がセットで記憶を刺激しますw
豊洲ではスピーカーが平行に置かれていたため距離的には近くてもそこまで音被りしてはいませんでしたが、苗場ではそれが顕著でした。
こればかりは映像でも捉えられない、会場にいないと分からない細かな機微があると思いますね。大体あんなに離れているステージの音が少々霞がかっていても爆音で聞こえるって(逆は結構あるのですが)イギーポップしかありえん。
3度目のステージはグリーンステージで、ストゥージズ名義での登場となりました。
恒例となっているステージへの客の乱入をグリーンでもやるかなーなんて見ていたら思いっきり観客が殺到していてワロタw
あの光景はひとつのハイライトだったかもしれませんね。今の高齢化したフジロックの客ではおじけついて誰もあがらないかもしれませんが、当時の映像を見てると若いオルタナについた客がいっぱいで時代を感じさせますねぇ。
終わったら整然とステージを降りる行儀の良さも最高ですわ。
Number55