MyBloodyValentineは復活後精力的に各種フェスに出演しています。名盤ラブレスに続く新譜も発売され単なる再結成の枠を越えた活動を行っています。

ロゴス(LOGOS)

MyBloodyValentineといえば轟音ライブ

出演回数:3 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 2 回
  • ソニックマニア / SonicMania >> 1 回

耳栓必須

実際にいつぞやの単独公演では耳栓が配られてましたw
フェスでは音が抜ける、プラスサウンドシステムが独自に組めるわけではないので2008年の久しぶりの来日公演であるフジロック以外はマイブラらしからぬ音量の小ささでこういった形式での演奏は難しさが際立ちバンドの特徴が活かせないことが明確になったと思います。
野外かつ騒音にあまり気を配らなくても良い環境のフジロックですらこの状況ですから、あの圧倒的密度で歪むギリギリの音源の再現性を目指すライブを日本で行うのは見果てぬ夢なのでしょうか。
とはいえ1991年に発売された出世盤のラブレス以降長らく活動すらしてなかった現状を考えると突如として活動再開のアナウンスが入った2008年にはフジロックへの参加が発表されると熱狂をもって迎えられ、さすが再結成(てか一度も解散とは言ってないキリッ)が待望されるUKバンドの2番手(1位はもちろんスミス:個人調べ)に位置する彼ら。
中心メンバーというか、ほぼマイブラというアイコンと一致している存在のケヴィンシールズ自体はプライマルスクリームのサポートをしたり音楽を生業とする活動をして、こちらにも目に付くくらい目立っていたわけで、はよ再開せえや!の声は大きくも年々しぼんでいったというのが当時の正確な状況分析と言えるでしょう。
プライマルスクリームのステージで目撃するケヴィンは非常に楽しそうで苦労して既に伝説級のバンドを再発進していたづらに評価を落とすことに恐怖の念があったのではないかと邪知すらしてしまいました。
ラブレスに関して言うなら、その後の音楽シーンのある一定の方向性の確実に源流に位置しているほど影響力も強く、今でもあの世界に似ている音さえないという孤高の存在でもあり、あの地平の続きを見せるにはよっぽどのアイディアがないと、といった強迫観念じみたものがあったのではないでしょうか。
実際にその後はただちに活動停止したわけではなく、いくつかの音源と未発表のものが大量にあるとのこと。
自分達が生み出した恐るべき子どもの名前に囚われてがんじがらめになっている表現者はそれ以前も以後も沢山いるわけですが、ラブレスの場合最高級のプレッシャーであっただろうことは想像に難くないのであります。
しかしながらそこを乗り越え川を渡り、現生に帰還したバンドはロックバンドの権威が失墜していたゼロ年代半ば以降の状況においてその存在意義を見つけたかのようにイキイキとしています。
この状況の変化が活動再開の後押しをしたのは明白。世界が一周まわってラブレスの価値が浮彫りになったことによってよりやりやすくなったのではないでしょうかね。
ある意味肩の荷が降りたというか、ライブを見ているとそんな肩の力が抜けた(年齢のせいにするにはまだ若い)様が見て取れて、今後の活躍が予感出来るような気すらします。
…フジロックでのエンディング30分間のノイズは忘れられないくらいで、フジロックフェスのメモリアルな瞬間、ハイライトのひとつと言えますね。
Number55