富士山の裾野に位置する朝霧高原で開催が決定した朝霧JAM。2001年に初めて開催され以降秋に行われています。

ロゴス(LOGOS)

2001年ゆるフェス朝霧JAM始動

2001-10-13

レインボーステージ/RainbowStage

2001-10-14

レインボーステージ/RainbowStage

あくせくせず楽しめるフェスに

既存のフェスとの棲み分けは後発のフェスにとって非常に大事な要素であると思います。
朝霧ジャムには色々と売りはあるのですが、まだ参加したことがない人に説明する際に最も引きになるのが朝起きたら富士山がこの世のものとは思えない荘厳な美しさでそこにいるということです。
あの至高の瞬間は朝霧ならでは。それだけで入場料分の価値はあるってもんです。…確率的に半分は荒天のせいで見られなかったりするのですけどねw
ステージ直近の会場内にテントが張れるのはライジングサンがあるので実はそこまで差別化が出来る要素ではないのです。
朝霧の場合、民家が近いので深夜中ずっと音が出せるわけではないのがマイナス要素ではありますが、ロケーション的にも面子的にもガツガツせずに緩やかに時が流れているなどといった、国内に乱立する地方フェスの中でもきちんとオーガナイズされた運営で一歩リードしているのは間違いありません。
2001年の最初の開催ではパイロット版程度の集客で、数千人が参加したようですが、年々規模が拡大しチケット発売開始後即売り切れの年もあったりします。特に場内駐車券は争奪戦になっていて確保するのが大変なんですよね…。
当日もメインステージ前の遮るものがないポジションにテントを張る競争もかなり激化している模様。
それは緩いイメージとは程遠いものではありますが、当日殆どの時間はそんな喧騒などどこへやらのまったりとした時間が流れています。
そこかしこでBBQをやっていて殆ど酔っ払いと笑顔に包まれていて、そりゃ病みつきになるのも分かります。
早くコロナが収束してあの空間に身を置ける世界が戻ってきてほしい…。

2001年ネット事情

ドコモが世界初の3Gサービスを開始…ってこのころはまだモバイル分野では日本はトップランナーだったということなんですね。
まだガラパゴス携帯なんて言葉もない時代。ここから凋落が始まっていくわけで。まだ2001年は日本のもグローバルなビジネスチャンスが転がっていた時代でした。
そろそろ光ファイバー網が整備されはじめてきて、当時勤めていた会社にもいち早く導入されたのですが不安定すぎて大変なイメージしかありません。
工事に来たあんちゃんがケーブルがすぐ折れるので保守が大変だと嘆いていた記憶があります。
実際ネットワークトラブルが頻発していて管理する側としては最も忙しい時代だったなと振り返るとそんな思いしかありません。
JPドメインが開始され、個人でしっかりしたサイトを運営するような時代が始まったのもこの年の特徴となりました。
Number55