ケムリ・アクシデントや一時解散を乗り越え現在も活動を続ける音世界そのままのポジティブさを持っていて聞くと元気が出るバンドの第一人者です。

ロゴス(LOGOS)

ケムリを思い出すとき、それは苗場の午前中の時間帯

出演回数:27 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 10 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 10 回
  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 4 回
  • カウントダウンジャパン / CountDownJapan >> 2 回
  • 朝霧JAM / AsagiriJam >> 1 回

笑顔しかない

日本のスカパンクバンドの代表格。活動当初からグローバル志向で日本に留まらないケムリですが、開始時期が日本のフェスの黎明期とも重なりフェスと共にプレゼンスを大きくしてきたバンドのひとつであると言えます。
日本のフェスには常にケムリがそこにいたといっても過言ではありません。
正直に言って音源リリースのフィールドがほぼメジャーレーベルであるのにも関わらず日本のいわゆるテレビサイズの音楽番組で取り上げられることは珍しいわけですが、もしかしたらそれは本人達の意向なのかもしれませんが、徹頭徹尾ライブの現場で評価されることに重きをおいているかのような精力的な姿勢なように思われます。
実際、表題のように苗場のグリーンステージ午前中のイメージなのですが、失礼ながら前座でまだ冷えている客席を温めるには最適なバンドであり音であり、もし彼らの名前を知らなくても世界中どこに行ってもフェスの沸点を高める役割を担うことが出来ると思います。
記憶の中の彼らのライブはというと、その時の天気とかそれが何年だったかとかは正直全く覚えていないのですが、唯一映画のいち場面のように思い出せる光景は客の笑顔、それに尽きるのです。
そしてそれは10年経とうが20年経とうがまったくもって色褪せない。そんな強度を保っているのです。
※客が高齢化しているのでモッシュの高さは大分低くなりましたがねw

解散後の方が精力的かもしれん

ツアー中に悲劇に見舞われた彼らですが、しばらくして解散となってしまいました…。
それはとても残念な出来事で、フジロックやライジングサンでの存在感が大きかったバンドだけに喪失感も半端なかったように記憶しています。
などと感傷に浸っている暇もなく、歓喜の再結成が劇的な形で行なわれたわけですがw
活動はより精力的になったように思います。まるで一度別れたカップルがより激しい強度でもって結ばれたかのような気さえしますね。
以下は褒め言葉としてとらえてほしいのですが、元々完成されていたスタイルをそのまま現代も同じ影響力でもって微動だにせず休止前と同じ熱量で…まあ要は何も変わらず今もケムリはケムリだよねという一言に尽きますわw
安心感というかそれがかのスカパンクバンドの完成度なのでしょう。
その活動のほとんどを若いコが好んで聞くような位置にずっといたわけではない彼らですが、日本のフェスに彼らがいることの信頼感たるや大魔神佐々木クラスであると、あえて言おう。
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