AtariTeenageRiotは一聴しただけで最大級のインパクトが刺さるドイツ発のデジタル音の過剰なハードパンクバンド。夏フェスで是非見てみたいタイプのバンドのひとつです。

ロゴス(LOGOS)

アタリティーンエイジライオット~デジタルとハードコアの精神との邂逅

出演回数:4 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 3 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 1 回

斬新な音世界

ミクスチャーという概念が全盛を迎えた90年代初頭。元々そういった概念はアンダーグラウンドシーンでは当たり前の手法で、ただただそういったバンド達が世界中へ知れ渡る機会が殆どなかっただけのことだったわけですが、90年代に入ると一部の人達の尽力の賜物なのかはたまた流通環境がしっかりしたからなのかは分かりませんが、ここ日本においては外資系の大型CDショップが大都市圏に出店したことをきっかけに海外のマイナーでインディーレーベルの円盤が大分入手しやすくなりました。
そして基本的にコレクター体質な日本人の気質的に掘り起こされたバンド達が局所的な人気から全国に伝搬する形が作られるようになって奇跡的な良環境が構築されていくのでした。
こういった劇的なリスナー環境の変化によって世界中のミクスチャーミュージックが日本に、東京に溢れるようになったのでした。
そんな流れを受けて92年にドイツで結成されたアタリティーンエイジライオットが日本に浸透することは川が流れるように自然なことだったと言えるでしょう。
90年代半ばのリスナーの環境を考慮すると既に2枚のアルバムをリリースして知名度をあげたアタリがフジロックにブッキングされるのは当然の流れ。
デジタルをハードに鳴らすまるでパンクバンドのようなその手法は是非フェスで見たいタイプのバンドなわけですが、こういった音は過激で過剰すぎるがゆえに飽きられるのも早く賞味期限は短いわけですが、それでも太く短くの刹那的なタイプのバンドを当人達は(傍から見た限りですが)ステージング含め貫いているように見え、清々しいまでの時代のあだ花のような存在なのでした。
天神山のあの暴雨のフジロックは舞台装置としては正にうってつけで、あの日のアタリティーンエイジライオットやマッドカプセルマーケッツは裏フジロックとも呼べるくらい重要なワンピースであったと思います。
一度解散し再結成を果たしたアタリティーンエイジライオットですが、最初の活動期間は9年程。
全世界的な人気を博してからは5年程度で燃え尽きたことを考えると、やはり音のスタイル的にそう長続きはしなかったのかなと推測せざるをえません。
裏返すとあの時代にしか成立しない、あの時代だからこその音楽だったわけでその功績は長く記憶されるべき類のものだと断言したいところ。
音の質感的にあまりにも厨房感溢れるバンドで無下に扱われがちですが、デジタルに他のジャンルを掛け合わせる手法は紛れもなく先駆者の位置づけであり、その後の影響力の大きさを考えても歴史に名を刻むバンドであったことは間違いありません。
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