椎名林檎とはバンドやソロで各種フェスでも抜群の経歴を誇り、日本における女性表現者のトップとしてジャンル全体を引っ張り続けています。

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椎名林檎~変化し続ける日本代表

出演回数:4 回

  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 2 回
  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 1 回
  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 1 回

デビュー時既に破格の存在

椎名林檎…決してテクニカルとは言えないいわゆるヘタウマの部類に入ると思いますが、それでも独自の完成された世界観をシーンに登場した段階で既に獲得していた正に破格の才能、異能ともいえる存在でした。
それは最早女性の枠を超え日本のサブカルチャーをも変えていくような強烈な個性たりえたもので、実際林檎風なフォロワー的なアーティストも数多く当時は存在していましたがその全てがあっという間に淘汰されてしまい、それによって残された椎名林檎というアイコンの力強さが改めて浮き彫りになっていったのでした。
それは90年代~00年代においては見本市チックなロックフェスという舞台装置では扱いきれるものではなかったのでしょう。
初年度の短い持ち時間だったライジングサンで食み出たパフォーマンスを行って以降、なかなか日本のフェスにブッキングされることはありませんでしたとさ。
それはアーティスト側の問題なのか単純にオファーがなかったのか分かりませんが、とにかく1999年のライジングサンの後、椎名林檎名義でのフェス参加は2008年のライジングサンまで待たなくてはなりませんでした。
その間に東京事変名義での参加は多数あったのですが、それは思ったよりもバンド形式にあてはめたスモールスケールかつバンドの一員でしかない椎名林檎であったので可能だったのかもしれません。
2008年のライジングサンでは初日に東京事変で出たあと翌日に椎名林檎で出たのですね…急に仕事し始めちゃった感がw
その後の2015年にはフジロックにソロ名義では初登場。メインステージで圧倒的存在感を示しました。ライドとジョニーマーに挟まれるとか半端ない位置!それでも強烈な椎名林檎の世界を提示していたのはあっぱれでありました。
初登場となったロックインジャパンでもメインステージの大事な時間で場の空気を引き締めていました。
どんな位置でもどんな場でも自らの色に染め上げる力は悪魔的な存在感で(それはリオのオリンピック閉会式でも感じたものではありますがw)純日本的であるがゆえに世界では評価されにくいものなのかもしれませんが、もしかしたら死後ン十年経って改めて評価される類のものなのかもしれませんねえ。
大谷とかイチローとか香川真司とかみたいな人達と同じく同時代に生きていることに感謝しちゃうような著名人のひとりではあります。
歴史の証人みたいなことですよええ
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