朝霧JAMの2011年開催では普段は世間と隔絶された雰囲気を作り上げているフェス筆頭ですが、現在でも影を落とす災厄に対し果たしてどのような立ち位置を指し示すのか注目が集まりました。

ロゴス(LOGOS)

2011.朝霧ジャムが描くフェスの未来

2011-10-08

レインボーステージ/RainbowStage

ムーンシャインステージ/MoonShineStage

2011-10-09

レインボーステージ/RainbowStage

ムーンシャインステージ/MoonShineStage

震災から半年後の世界

心配された夏の電力事情への不安もなんとか乗り切り暑さも一区切りして秋を迎えた10月。
朝霧ジャムが例年通りのレギュレーションでいつも通りの開催となりました。
普段は日常の垢を落とすようなチルアウトした空間なわけですが、やはり東北の震災を抜きにしてこの年のイベントは語れません。
イレギュラーな出来事があったときにこそ、そのフェスの体力だったり基本的理念が存分に発揮されるものなのだと思います。
実際に語るべき言葉を持たないアーティストは東北に近寄らないわけで、実家の稼業的に最も影響を受けた斉藤和義さんはずっと嘘だったんだぜと歌わざるを得ないのです。
そういう意味でうざいくらいに(失礼)語るべき強き言葉を持つソウルフラワーユニオンが2011年の朝霧ジャムに出演することは必然性があるのです。
悲しいことに蓋をして耳を塞ぐのも一手だとは思いますが、感情を音にして吐き出す方が前に進む速度は加速するのではないかと思う次第です。
それは速いBPMでドコドコやってギターが歪んでいれば怒りの感情を最大限表現できるのかというとそんなことは全然なくて、アコギ一本でも怒りの表現は出来るのです。むしろそっちの方が難しくより高尚な表現になるんですよね。
それは直接的な表現という意味ではなくて顔は笑って心で泣いて、という表現も成り立つということなのです。
2011年のどのフェスも楽しい空間でしたが、どこかで鎮魂の思いが溢れていた優しい空間だったように記憶します。
被災地ど真ん中のアラバキフェスでさえ必要以上のしんみりさはなく、生の凱歌が高らかに歌われていました。
富士の裾野というただでさえスピリチュアルな地で繰り広げられる音の饗宴。
ただただ力強くそこに存在し続ける祝祭空間。例年と変わらないその佇まいに勇気づけられた向きも多いと思います。
強ええなあ朝霧。

2011年のネット事情

IPv4が枯渇するかという問題が持ちあがった2011年。
震災時ネットが果たした功績はいかに。と当時を思い出してみます。
まずは安否確認に非常に便利だったのがツイッターでした。
携帯電話は全く機能しませんでしたが、有線のインターネットは地域によっては問題なく接続でき、まだ同時配信環境が整っていない時代でしたがかろうじて先駆者のUSTが機能しており、広島だかの高校生がNHKのニュースをずっと違法配信していました。
が非常時なのでこれはOKにしてもいいだろうと個人的には思います。
WEBサーバーは関東に集中しているものだと勘違いしていたのでサイト自体に繋がらないのではないかと危惧していましたがそんなことはなく、計画停電の影響は身近にはバリあったのですが仕事のタネであるインターネットはほぼ無傷状態。
ああ…グーグル+なんてえのありましたね…。
Number55