MichelleGunElephantとはその圧倒的な音楽性で日本を代表するロックバンドとして記憶に刻まれました

ロゴス(LOGOS)

ミッシェルがいた夏

出演回数:6 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 3 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 3 回

フジロックで圧倒的な存在感を

日本のフェス文化において彼ら以上の功績を残し、多くの参加者の記憶に残ったバンドはいないでしょう。
こういった言が大袈裟でないことは当時の空気を知る人には納得していただけると思います。
それくらい圧倒的かつとても異彩でした。まさにあの90年代を取り巻く状況やそれまでに積み上げてきた先人の活動の集大成的な側面ともマッチして奇跡的な位置にミッシェルガンエレファントは陣取ることとなりました。
全てがあるべきタイミングであるべき場所で奏でられることでミッシェルというバンドに実力と人気が伴う幸せな瞬間が訪れたのでした。
おそらく本人達も結成当初は思いもよらない想定外の成功を収めたのではないかとw
なんせ過去に日本で人気が出たありとあらゆる音楽とは似ても似つかないことをやっていましたからね。
今冷静に考えても一番勢いのあるバンドの音楽がパブロックだったりガレージだったりするような時期があったなんて正気の沙汰じゃない時代だなあと思います…。
だからこそあの時代にそれを支持した人達は数十年後でも胸を張っていいと思います!当のミッシェルのメンバーのみならず、それに関わっていた人全部が奇跡の時代を作ったと自負すべきなんですよね。
例えば現代人気となっている歌い手やら動画配信系のサイトやらSNSから人気を博すという情勢は多分に社会構造の変化によってもたらされた外部要因によってある意味仕方なく作られた側面がありますが、このミッシェルやブランキー、ハイスタがシーンを引っ張っていた時代を作ったのはごくごく一般的なリスナーによるものでした。
大手広告代理店が密閉された会議室で誰かが鼻をほじりながら提示された商品に疑問を持つことなく受け入れていた時代とは一味違う、とてもとても幸せな時代でした。
そんな時代がわずかでもあったことを忘れてはいけないと思います。

フジロックメインステージの顔に

フェスにおいて、一番大きなステージでトリを務めるということはそのフェスの顔であると言えます。
いやらしい話、顔で売れ行きが左右されるともいえる大事なポジションです。
洋楽系のフェスでそこに日本のバンドを配置するということ、この意味はとてつもなく大きい。
おそらく今後数十年は…日本にBTSやブラピンレベルの世界的実績を作るアクトが出現しない限り不可能なのではないでしょうか。
そういう意味で00年代に一度そういう日を作ったことの意義は今後どんどん増してくるのではないかと思います。
それくらいの金字塔ですね。
残念ながら2000年のフジロックの集客はその前後の年と比較して芳しくはありませんでしたが、それでも及第点の集客で本人達も気合の入った演奏を繰り広げたと思います。
まるでそこで燃え尽きたみたいに…
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