OceanColourSceneは短いスパンで継続的に日本のフェスに呼ばれ続けたイギリスを代表するブリットポップ期のバンドとして著名な存在です。

ロゴス(LOGOS)

OceanColourScene~アニキの復活とともに再浮上したバンド

出演回数:5 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 4 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 1 回

日本のフェス初期から呼ばれ続ける

ブリットポップというムーヴメントがイギリスを席巻していたころ、その一翼を担うバンドとして颯爽とシーンに登場。モーズリーショールズはその頃の空気を余すことなく伝えている名盤として歴史に名を残しました。
そんなOCSも活動初期はなかなか人気があがらず平易な人気と評価で凡庸なバンドのひとつに数えられていました。
というかここ日本では全く名前を聞かないような存在でしたね。当時を思い出すとそんな述懐になってしまいますわ~。
バンドの浮沈のカギを握っていたのはポールウェラー兄貴だったことはよく知られている事実で、ここから説明を始めないとなりません。
ジャムからスタイルカウンシルと着実に実績を重ねていたポールウェラーでしたが、ソロになると一転そのキャリアは苦戦期に突入してしまいます。
その時期は今考えると割と一瞬だったような気もしますが、それでもあのウェラー兄がインディーズでソロをリリースしたり、またそれが日本限定だったりと傍から見てて大丈夫かという空気が漂っていたように記憶します。
それも素晴らしいソウルアルバムでクオリティを保っていたことで盛り返し今ではあらゆる若手に尊敬され、音楽に対する若い頃から変わらずの真摯な姿勢で不動の地位を確立してしまうのですからやはりその才能は破格。
そのころのツアーでバックでギターを弾いていたのがOCSのメンバーだったことで相対的にOCSの待望論や注目度も高まり一躍ブリットポップを代表するバンドとしてイギリス国内での地位をこちらも押し上げることに成功しました。
その音はTHEWHO直系のイギリスの匂いがふんだんに撒き散らされた音であり、イギリス的なものを改めて再認識させるシーンのコンセプトに合致した素晴らしい楽曲の数々が次々に生み出されていたのでした。
ライブ自体も叩き上げで鍛え上げたタイトな演奏で一度見たらその技巧の素晴らしさに圧倒されてしまいます。
とかく演奏面では目を瞑りがちなイギリスバンドでありますが、その点でも骨太でしっかりした演奏をするバンドとして一定の評価を得るのでした。
日本のフェスにも黎明期から大事なポジションに配置され99年の苗場一発目のフジロックでは昼のメインステージでしっかりと存在感を発揮することが出来たような、と当時その場にいた人間として証言しておきたいと思います。
確かビートルズのデイトリッパーのカバーしてた記憶がありますね、定番なのかしら。
その後もサマソニでもフジロックでも困ったときのOCSみたいな立ち位置で(傍から見て、ですがねw)しっかりと存在感を発揮し続けるバンドとなりました。
Number55