ソニックユースは90年代以降評価をオーバーグラウンドに爆上げしオルタナフェスには必ずブッキングされるくらいの象徴的なバンドとして有名です。

ロゴス(LOGOS)

SonicYouthを聞かずしてオルタナは理解できない

出演回数:5 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 4 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 1 回

常にアバンギャルドであり続けたバンド

ジャンルとしてのオルタナティブを辞書的なもので調べてみると「商業的な流行音楽とは一線を引き時代の流れにとらわれない普遍的なものを追い求める精神」とあります。
正にこの精神を活動を通して体現したバンドこそがソニックユースといえるでしょう。
どこかで見たことがあるこのアティチュードですが70年代末に既にパンクが提唱した概念そのままなんですね。
でもってパンクバンドというのはそれが世に広く認知された段階で既にその役目を終えパンクの精神は音楽以外へと継承されていくわけなのですが、逆に音楽という文化ではパンクという言葉は成立しなくなりました。
そこで生み出された概念がオルタナティブなわけですが、こちらは大衆に届いてもその性格を変えることは構造上ありえなく、常にオルタナでいることが許されたある意味優しいジャンルとなりました。
パールジャムみたいなセルアウトした存在が表れてもそれを概念として否定するロジックはそこにはないのです。
一方でソニックユースはそんな次元からはかけ離れた存在でした。
結成は80年代初頭のニューヨーク。まだパンクの残り香が以前として色濃く残っている時代でした。
初期衝動としてのアンチ産業ロックが身に沁みついているのは想像に難くありません。
パンクの震源地だったイギリスと比べアメリカや我が国日本ではその波が遅れて入ってきたためある意味冷静な状況下でパンク自体を噛み砕いていたバンドが多いように思います。
時代は既にパンクを通過したニューウェーブの時代。ジャンル自体を進化させるムーブメント以前と以後ではその影響下で出てきたバンドを見るとその影響の強さが分かるというもの。アメリカではソニックユースがそれで日本ではボアダムズが同時期に活動を開始させました。
80年代丸々費やしてアンダーグラウンドシーンを席巻したソニックユースですが、そういった音楽が日本にノンタイムで輸入されるにはまだ態勢が整ってなかったというのが正直なところです。
国内においてもインディーな音源が手に入るのは大都市圏に限られとても全国的なうねりになるような状況ではありませんでしたからね。
その状況が変わりつつあった90年代初頭にソニックユースは音楽性を変化させることなくメジャーレーベルと契約し日本でもその名前が広範に認知されるようになりました。
オルタナの象徴ニルヴァーナよりも10年も前に凄いことをしてるバンドがいたのか!と当時の若輩者だった自分は驚愕したのを覚えています。
そしてそんな出自のバンドがオルタナフェスのフジロックに出るのは必然の流れ。
98年の豊洲から2000年の苗場など印象的な出演が数多くあります。一般的にはマイナーバンドであるソニックユースがここフジロックではメインステージで演奏したりセカンドステージでトリを務めたり、重要なワンピースとして存在感を誇っています。
こういったバンドが幅を利かせられるのがフジロックの醍醐味なわけでありまして、ある種のリトマス試験紙として機能しているのでありました。
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