Zoobombs~ドンマツオを中心に国内外問わず活動を拡散する日本を代表するオルタナ影響下の無二のロックバンドとして評価が高いアクトです。

ロゴス(LOGOS)

突き抜けたサイケデリアが清々しい日本発のロックバンド~ズボンズ

出演回数:5 回

  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 2 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 1 回
  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 1 回
  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 1 回

北米ツアーも盛況!

90年代から顕著に見られるようになった日本人バンドの北米進出ですが、ズボンズも例外ではなく日本発のロックの形を現地に届け決して日本の音楽人が隔絶されたガラパゴスではなく地続きであることを証明してきました。
同時代に世界のどんな国の若者だろうが同じように感じてきた文明社会への焦燥感を日本というある意味大量消費社会の権化ともいえるような環境からの目線でロックという形で世界中に届けていくことの価値の大きさは計り知れないものがあります。
90年代のムーブメントをある意味モロに受けながら東京から出てきた音楽はズボンズ的にはドアーズのようなどんよりとした肌触りのサイケデリックな音像となりました。
結成3年後の1997年デビューということはフジロックと同い年。同年の初めてのフジロックのセカンドステージの2番目の出番となりました。
この年のセカンドステージの日本勢がそのまま当時の音楽シーンの雰囲気を伝えているように思います。
ブラックボトムブラスバンド、ズボンズ、マッドカプセルマーケッツ、ボアダムズ、電気グルーブ。完璧じゃないですか。
アタリやエイフェックスツインと融合するとひとつの答えが導きだれそうな圧倒的な存在感。
その中に放り込まれてもズボンズは悪目立ちすることなく完璧なメッセージの渦の中でひと際熱い存在となっています。
※といっても個人的にはまだ会場に着いてなくて歴史の証人になれなかったのは痛恨の極みw
その後2001年のロックインジャパンのセカンドステージであるレイクステージで中盤に出演。ブッチャーズの前というのはハマる位置取りだなあと思います。
2度目の開催で2ステージに増やしたフェスにしっかりと爪痕を残していきました。
同年のライジングサンにも初登場を飾ります。こちらはまだ3年目の1ステージ制の頃でスモーガスとギターウルフに挟まれるという最早完璧な流れという幸せなポジション。
そして日付的にも2日後のサマソニ大阪(北海道から大阪の振り幅!)に出演することに。この年は主要フェスの3つを制覇しバンド的にも最も精力的に動いていた年と記憶されていることでしょう。
そのまだ2ステージ制のサマソニにはセカンドステージのトップバッターという大事な役割をあてがわれました。
ほぼほぼ洋楽アクトしかいないステージにおいて重要なポジションを見事に務めあげたのでした。
復活以降は主要フェスでの演奏がない彼らですが、かつてはかなり重要なポジションを占め日本にズボンズありを示し続けていました。
Number55