The Music その若さに似合わないほど完成されたアンサンブルとイギリスらしいダンスミュージックへの傾倒でフェスでは鉄板のライブを披露していました。

ロゴス(LOGOS)

ミュージック~若さの勢いが眩し

出演回数:6 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 5 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 1 回

一般ピーポーも虜に

デビューアルバム発売前の1枚のシングルがそこそこ話題になったタイミングでの来日がフジロック2002年。デビューアルバムの発売が日本国内では8月だったことを考えると本当に英国で期待の新人バンドがいち早くフェスで見られることの幸せを感じられたバンドのイメージがとても強いです。
この時期のフジロックにしろサマソニにしろこういったニューカマーが見られる見本市的な側面が非常に強く、その後の来日公演や円盤の売り上げにも直結するなど誰も損しない共犯関係が出来ていたように思います。
まだ円盤の売り上げが音楽市場内のプレゼンスが重かった時代にはそれが可能でしたが、ダウンロードでのデータ購入が主流になると陰りが見え始め、サブスクの出現によってトドメを刺されることになりました。
それに伴いライブの重要性にも二極化が進み、現場の唯一無二の体験がウリになるアクトと音源のリリースのみに力点を置くアクトに分かれるようになりました。
ミュージックはライブの魅力が音源より大きいバンドでもありフェスとの親和性は言わずもがな。
というかネットとの相性も…検索しにくいバンドナンバーワンだよもうw
サブスクでも初期は本当に見つけにくいバンドだったよもうw そんな強力な武器を引っ提げてシーンに登場した彼らですが、2枚目で大人に騙されてよりロック色が強まるサウンドにされてしまい武器の強さが薄まってしまったのが残念でなりません。
最終的に初期衝動が全てといったアクトに括られてしまったわけですが、そんなスケールのバンドではありませんでした。勿体なさみが強い。

始まりもフジ、締めもフジ

栄光に彩られたデビューライブを行ったバンドですが、日本国内で解散するラストライブもまたフジロックの場所を選ぶことになりました。
バンド自体はデビュー当時メンバーは10代。初見では肌感覚でイギリスのバンドの真髄を知っているかのような実にイギリスらしいバンド然としたその佇まいに唸らざるを得ませんでした。
その音楽性からツェッペリンとの相似性を指摘する声もありましたが、当人達は殆ど聞いたことがなかったと知ってビックリした想い出がありますね。
やはりこの辺は周りの空気がそうさせるのか、実に羨ましい限り。
子どもが集まって演奏したらそこにビートルズもストーンズ、フーやツェッペリンやピストルズになってしまうのが素晴らしい。
そこにUK国内でのその時々のトレンドが(かの国の場合ダンスやハウス成分)組み合わさって新しい音が出来上がる凄まじさよ。
Number55