3回目開催の2003年朝霧JAMではオーガニックな雰囲気から一歩踏み出し集客を意識したアクトが勢ぞろいしました。

ロゴス(LOGOS)

2003年朝霧JAMはより運営を意識した開催概要となりました

2003-09-27

レインボーステージ/RainbowStage

ムーンシャインステージ/MoonShineStage

2003-09-28

レインボーステージ/RainbowStage

あのキャパでこの面子は…売れるっ!

DJセットとはいえ最早フジロックの規模でもトリ待遇になっていたケミカルブラザーズ、その後フジロックその他世界中のフェスでメインアクトにまで上り詰めたジャックジョンソン、ニューヨークパンクの重鎮テレヴィジョンなど昨年までとは一味違った攻めるブッキングで一躍秋フェスのてっぺんを取りにきた!と話題になりました。(一部でw)
朝霧アリーナはオーディエンススペースは万単位入る広さがありますが、半分はテントスペースで埋まってしまうので正味1万人も集まればギュウギュウになってしまうような場所ですが、この面子をそろえることによってキャパを越えてしまうのではないかと危惧さえしました。
実際はやはりキャンプが前提となるとハードルが高くなるのでしょう。この年まではそこまでの集客にはならなかったのですが、こういった良面子を続けることによって数年後にはチケット争奪戦の状態にまでなり近接の場内駐車券が押さえるのに苦労するようになりました。
やっぱ企業努力って重要だなと改めて思う次第です。
本当のところフジロック以上に朝霧JAMに対する常連の信頼感は半端ないと会場内ではひしひしと感じます。
あんな過酷な環境でもきちんとキャンプギアも仲間も揃えて大勢の人が集まってくるのは割と凄いことだと思いますね。
季節は秋とはいえ朝晩は都心レベルなら真冬といってもいいような気候ですから。
冬にキャンプすることは、最近は流行しているわけですがそれでも寝袋ひとつとってみてもきちんとした機能するモノでないと寝られない程の寒さでキャンプするなんて…ひと昔前を考えたら奇特な人が増えてるとしか思えませんw

2003年ネット事情

当時を振り返る記事を見てみるとYahooBB加入者が激増とあるので、ああモデムをやたら配ってた時期かと振り返れます。
結構インパクトがある光景でしたからねあの時は。
自分も初めに何げなく契約したプロバイダと20年経った現在でも継続しているわけで、あの時にたまたまYahooBBで契約した人は特段の理由がなければずっと継続している人も多いんでしょうね。
そう考えるとドコモとかもそうですがヒヨコの刷り込みじゃないですけど、契約の見直しとか面倒くさいのでなあなあにダラダラと継続利用している層も多いんでしょうねと想像できます。
3大携帯キャリアの一つがJフォンからVodafoneになったのもこの2003年。
jp-t.ne.jpなどと地域で分別されていたドメイン(今にして思えば斬新w)が*.vodafone.ne.jpになるなど色々と錯綜していた時代でした。
当時は携帯に特化したサービス産業に従事していたのでドメインの扱いがしんどかったことが懐かしく思い出されますw
Number55