曽我部恵一は90年代を経験した人にはある種のノスタルジーを感じさせる存在のソロシンガー。バンドからソロを経て各種フェスに呼ばれまくる存在です。

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曽我部恵一~ストレートな楽曲をストレートに奏でる天才

出演回数:31 回

  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 10 回
  • カウントダウンジャパン / CountDownJapan >> 9 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 7 回
  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 3 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 1 回
  • 朝霧JAM / AsagiriJam >> 1 回

フェスでは安定した存在に

曽我部恵一はある意味日本でしか成立しえない日本の景色や原風景を捉えることに長けたソロシンガー・作家として各方面に定評があります。
それはシーンに最初に登場してきたときからその認識で知名度を広めていて、ある種かつてのフォークシンガーのような佇まいと共にある意味でとてもストレートな存在であったと思います。
時折しも音楽的にクロスオーバーで懐古的な流れも確かにあった90年代。
それはヒップホップが巻き起こした過去作の掘り起こしによってもたらされたものの副産物ではあったのですが、それは良質な音楽がまっとうに評価される幸せな時代でもありました。
その象徴としてサニーデイサービスは評価を集め人気を博しました。
しかしながらそんなバンドは2000年をもって解散し、夏フェス黎明期にその名を見る事は叶いませんでした。
その後ソロとなった曽我部恵一氏は自らの作品だけでなく楽曲提供やプロデュース業、映像作品だったり執筆活動など多岐に渡る活動でそのマルチな才能を発揮することとなりました。
wikiを眺めてみるとCMとかにも出ているようですね…確かに役者としての活動もありましたね!タモリ倶楽部でも見た覚えがありますw
本当にマルチだなあ…色んな方面に明るくて特化していないとタモリ倶楽部にブッキングされることはないので、これはかなりのステータスなのではないでしょうか。
尊敬するなあ。
そんな中、2008年にサニーデイサービスは再結成!各夏フェス、大小国内フェスに呼ばれるようになり、ソロとバンド両方で運営にとって計算の出来る安定したアクトとして重宝されています。
フェス出演履歴を見ると殆ど毎年のように呼ばれていて、それだけで信頼されている存在であることが分かると思います。
2002年にフジロック初登場。ロックインジャパン、カウントダウンジャパン、ライジングサンは毎年のように登場し、サマソニは2004年にブッキングされました。
2007年にはライジングサンで大トリを務めるまでになり、更に地位を盤石なものにしました。
朝霧JAMにも2003年にラインアップされています。どんなフェスにも対応できるのが素晴らしいと言わざるを得ません。
サニーデイサービスも含めるとかなりの出演回数をカウントしていると思います。
これからも様々な方面で活躍し、フェスでも見られるのが楽しみで仕方ありません。個人的にめっちゃ期待しています。
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