ケミカルブラザーズがフェスで紡ぎだす漆黒の闇を揺らすビート

ロゴス(LOGOS)

ケミカルの安定感=フェスの安定感

出演回数:9 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 7 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 1 回
  • 朝霧JAM / AsagiriJam >> 1 回

ケミカル×フェスのマジック

苗場での最も鮮烈な思い出、というのは自分は他にもありますが最大公約数となると闇夜を照らす縦横無尽のレーザー光線とひたすら影が揺れ続け踊り狂うグリーンステージのケミカルブラザーズなのではないでしょうか。
なんせそのスロットに配置されたことが多いのでw
それはそうなのですが、フジロックに参加したユニークな観客が最も多く経験したのだからそれはやむを得ないのかもしれません。
もちろんいい意味でそれを書いてますけども。
過去あの手合いのアクトは屋内が相場と決まっているのが日本国内の常識であったように思います。
クラブカルチャーとの親和性の高さからそれはしごく当然のことなのですが、やはりその空間をだだっぴろい野外に持ち込むことの醍醐味を知ってしまった我らには、もはや敵なし状態なのです。
EDМ並びにウルトラの隆盛を見るにつけ、苗場のグリーンステージのケミカルが日本のシーンに与えた影響は計り知れないものがあるのでは。
土壌を作ったと言えるでしょう。当人達も周りもEDМを意識することはないでしょうし、ただエッセンスが受け継がれたに過ぎませんが一つの重要な要素であることは間違いありません。
どうしても日本人が集うと精神的にウェットでお祭り成分多めになってしまいますが、横文字の「パーティ」のカラっと乾いた空気がふさわしい空間を自然豊かなあの場所に現出したことは、90年代を総括するエポックメイキングな出来事であったといえます。

ロックの文脈で語る

時代の流れというべきか、90年代のジャンルの壁を取っ払ったクロスオーバーなシーンにおいて、ケミカルもまたテクノやハウスとロックの肉体性を自由自在に行き交っている存在でした。
今にして思うとそんなの珍しいことでもないので笑われそうですが、ヒップホップが壊した他人の領域に遠慮なく堂々と入っていくスタイルが浸透してきた時期に出てきた音楽の一つの形はあっという間に世界中のトレンドとなっていったと記憶しています。
お互いのリスナーを交雑し聞くジャンルの幅がリスナーの幅になり、それはDJ文化の隆盛にも当然繋がってきていて50年代から始まった欧米の大衆音楽が世界中に瞬く間に広がることで蓄積されてきた音楽的遺産が40年程度の時がいろんな形で開放される季節でもありました。
細分化されすぎた世界をそれぞれの個性でもって再構築するのが、このころから始まったポピュラー音楽に関わる者に課せられた最も基本的な課題となったのでした。
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