MadCapsuleMarketsとは欧米での知名度も高く90年代日本を代表し象徴する存在。フジロックとサマソニ両フェスで国内バンドの最も良い位置に配置される代表的存在でした。

ロゴス(LOGOS)

MadCapsuleMarkets~そのバンド状況チェンジャーたりえる存在

出演回数:9 回

  • サマーソニック / Summersonic >> 4 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 2 回
  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 2 回
  • カウントダウンジャパン / CountDownJapan >> 1 回

00年代を先取りしつつ

結成は80年代で初期はパンクバンドだったそうですが、ロックバンド形態でありながらシーケンサーやループ使いをするスタイルを見るにつけ、数十年後に違和感のないスタイルをいち早く取り入れ、その後の国内シーンの流れをも先取りしていたバンドであったのではないでしょうか。
90年代に突入し顕著となったジャンルのクロスオーバー。欧米ではレッチリに代表されるような流れが日本国内でも同時多発的に発生していたわけですが、マッドがその先駆者であったことは言うまでもありません。
レッチリの前座もしていたのですね…決してメジャーシーンで繰り広げられていた動きではありませんが、日本でも水面下で90年代を決定付ける潮流が蠢いているのでありました。
そこに登場してきたバンド、ハイスタやマッドカプセルマーケッツなどは決して80年代では成しえないような成功を収めていくのでした。
天神山のフジロックでもセカンドステージでボアダムズの前というスロットで存在感を示し、サマソニ初年度でもメインステージで演奏。両方の初年度に出た日本のバンドは彼らだけという金字塔を打ち立てました。
それくらい当時のシーンでは圧倒的支持を得ていたといえます。

当時の社会情勢考察

マッドカプセルマーケッツが人気を博していたころの日本では、彼らが人気となるまでの環境を醸成するような社会的変化が起きていました。
バブル崩壊後に日本社会の象徴である年功序列制度が揺らぎ始め、ニートやフリーターがワードとして認知されそれに伴いこういった生き方に対する抵抗感も薄れてきたのがこの時期だったのです。
高卒大卒など新卒で就職出来なければ人生の落伍者である、という雰囲気が薄れつつあり言っちゃ悪いですが会社員待遇とまでは行かなくてもフリーターでもなんとか生きていける時代がそこにありました。
音楽で身を立てるにはメジャーレーベルで売れ線の音楽をやらなければいけないという不文律も崩壊しつつあり、インディーシーンでの活動でもある程度の名誉と資金が流入して「生きて」いけるように状況は変化していきました。
まだネット社会到来前の時期ではありますが、かつてアングラでしか手に入らないような音源も日本全国で展開していた外資系の大型CDショップを通じて全国津々浦々どこでも手に入るようになったのも大きな出来事でした。
メジャー(正社員)でなくてもインディー(フリーター)でもクオリティが変わらないレベルで自由に音楽が作れ、メジャーフェスからも声がかかり、どんなメジャーバンドよりもいいスロットで演奏できる流れが90年代に到来したのでした。
その象徴がマッドカプセルマーケッツであるといえますね。
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