少年ナイフ・90年代世界で最も有名な日本のバンドの地位にいました。シンプルなパンクサウンドが特徴です。

ロゴス(LOGOS)

少年ナイフ流パンクが夏フェスを彩る

出演回数:12 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 4 回
  • カウントダウンジャパン / CountDownJapan >> 4 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 2 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 1 回
  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 1 回

ロケットに乗って冥王星に

90年代に間違いなく世界で最も有名だったバンドの地位はラウドネスから少年ナイフに受け継がれたのですが、今はサブスクやYouTubeがあるので、例えばネットや雑誌などでそのように書かれていたら当時を知らない若者はとりあえずチェックしてみるのでしょうが…何故??となるのが目に浮かびますw
シンプルすぎる演奏にシンプルな楽曲、これといって目立つような要素がないのに…。と正直な感想がそうなるのは明白。
しかしながらやはり当時の世情や経緯とワンセットで知らないとなかなか想像もつかない事態なのではないかと想像されます。
シンプルにやることこそ最も難しいのはロックの世界においては真理とも言えるのですが、それだったら他にもいただろうという意見もごもっとも。
もちろん歌詞の世界は独特だし、パンクの重苦しい部分を取り除いた実に大阪らしいキラキラポップパンクなど光る部分は沢山ありますが、世界で人気!となると昨今でいう(アジア括りでいう)BTSだったりBABYMETALだったり煌びやかな成功が目の前のモデルとしてあるので、そういった類の成功を想像するのでしょうが、そこまでのサクセスストーリーがあるわけではないので。
当時の成功というのは欧米で音源がリリースされ普通にツアーが組めて客が集まるのが基準だったのです。
しかしながらそのような普通のことさえ日本のアーティストが世界で勝負するにはかなり高い壁がありました。
トップアーティストであった久保田利伸、DREAMSCOMETRUE、時代は前後しますが宇多田ヒカルなどがその普通の活動をしようとして北米に挑みましたが、普通に知名度をあげて活動するまでにはいきませんでした。
おそらく彼ら彼女たちの10分の1にも満たない資金で少年ナイフは世界に飛び出していったのでしょうが、最も成功したのは大阪のローカルバンドだったのです。

グランジの果てに

などと最もらしい分析をしてみせましたが、もっとも効果的だったのは、というかほぼ唯一これしかない要素がニルヴァーナとツアーを行ったことなのであります。
北米でインディーズで音源を出してはいたもののほぼ無名だった少年ナイフでしたが、あまりにも大らかで能天気なパンクサウンドが無常な世に生まれて荒廃した心を癒したのは容易に想像がつきます。
80年代末という時代は東西冷戦が解消され喫緊の核戦争の危機はとりあえずレベルが下がりましたが、その事象とは反比例に無常観が広がりつつある時代でした。嫌厭感とでもいいますかね。
そういった感情とは真逆に響く少年ナイフの音楽がシアトルのいち青年の心を射止めるのに理屈などいらなかったのでしょう。
パンクという共通言語はありつつも音楽的には真逆な彼らと彼女ではありますが、どこかスピリチュアルな部分で繋がりがあるのは明白でニルヴァーナの物語を紡いでいるのは今でも少年ナイフなのではないかと個人的には思います。
なんていうことを書くと若者は両者を比較して、はぁ?(*´Д`)となるんでしょうがw
Number55