忌野清志郎~邦楽ロックバンドの雛形を作り、様々な後世に残る楽曲を残し、日本のロックフェスにも多大なる足跡を残しました。

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ミスターフジロック、忌野清志郎が夏フェスに残したもの

出演回数:15 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 7 回
  • カウントダウンジャパン / CountDownJapan >> 4 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 3 回
  • 朝霧JAM / AsagiriJam >> 1 回

彼はフジロックを作った

もはや説明さえ不要な存在ですが、忌野清志郎がいなかったら日本の邦楽シーンも夏フェスの姿もかなり違っていたと思います。
それくらい大きな存在でした。
未だにこの世にいないという事実が呑み込めないですね、実際苗場の会場にいると清志郎の残り香みたいなものがそこらへんにフワフワ漂っているので…。
日本という国の現代芸術の大きな括りでもロックンロールバンドという小さな括りでも、もし後世に学問として現代音楽邦楽が歴史の一部として編纂されるのなら忌野清志郎の項目が桑田佳祐と同じスペースを割いていないとしたら編集者はモグリだと断言出来ます。
清志郎の影響、RCの活動の余波なしにブルーハーツもエレファントカシマシも存在していません。
今に息づく若い音楽家も迂回しているかもですが清志郎の影響は大なり小なり受け継がれているのです。
そんな清志郎ですが、毎年のようにフジロックにブッキングされ枠潰すな枠空けろといった意見もちらほらあったのですが、要するにそこを越えなきゃ、川を渡らなきゃ出られない、まるでヤングライオンがブラックキャットに挑む図式が出来ていたのだと今になったら思います。
個人的には正直あんなに見る機会に恵まれていたのに、じっと腰を据えて見たのは2回くらいなのですがw
そこにいるだけの安心感はやっぱり半端なかったですよね。
雨上がりの夜空には最早ジョニーBグッド級の古典となってますから。
若い人にもセッションしようぜって集まったら別にしめし合わせなくてもRCをやるくらいの状況になっていてほしいもんです。

政治とロックを絡めるな

なんていう声が、この国の世情が政治に寄ってくると耳に入ってくるのですが、ミュージシャンてのは基本左巻きの人達であり、自己表現の源には国粋的な表現よりも反体制のほうがやはりやりやすいのでしょう。
だいたい政治家におもねる音楽が面白いわけがないw
清志郎はモロ団塊の世代、全共闘の世代なので骨の髄から反体制。
80年代の多感な時期に中高生だった自分なんかはナベツネじゃないですけど20までは社会主義思想にかぶれるのは仕方ないという社会的コンセンサスによって、まあ回りくどい言い方で申し訳ないですが左思想だったわけですが、清志郎がCOVERSで抉り出した日本社会の暗部がおじさんになった今も頭の中で渦巻いているわけで。
実際にそういう態度を表向きにとるわけではないですが。
政治の季節がやってくるたびに、清志郎が表現していた全盛期と全く世相は変わらねえんだなと痛感している次第です。
Number55