苗場がすっかり定着したフジロック。2001年は雨が殆ど降らず、雨は降らないものという間違った認識が広がり始めてきました。

ロゴス(LOGOS)

フジロックが世界から認知され始めた!

2001-07-27

グリーンステージ/GreenStage

ホワイトステージ/WhiteStage

レッドマーキー/RedMarquee

レッドマーキー(深夜帯)/RedMarquee(Midnight)

フィールドオブヘブン/FieldOfHeaven

ルーキーアゴーゴー/RookieAGoGo

2001-07-28

グリーンステージ/GreenStage

ホワイトステージ/WhiteStage

レッドマーキー/RedMarquee

レッドマーキー(深夜帯)/RedMarquee(Midnight)

フィールドオブヘブン/FieldOfHeaven

ルーキーアゴーゴー/RookieAGoGo

2001-07-29

グリーンステージ/GreenStage

ホワイトステージ/WhiteStage

レッドマーキー/RedMarquee

レッドマーキー(深夜帯)/RedMarquee(Midnight)

フィールドオブヘブン/FieldOfHeaven

ルーキーアゴーゴー/RookieAGoGo

極東フェスも選択肢に

アジアのプレゼンスが増し始めたのが2000年代初頭の世界の潮流でありました。
かつてはその中心にいた日本ですが、このころにはすっかり没落国家になっていてその中心には中国、韓国、インド、台湾などがいました。
これらの国はもはや安価な労働力を先進国に提供する国体からは脱却しつつあり、逆に先進国が提供するモノを大量消費するお客さんへと変貌を遂げるようになりました。
一方これらの国は経済的には発展を遂げましたが、文化的な側面の発展は遅れてくる傾向があるので欧米の芸術、限定すると映画や音楽、プロサッカーなどが浸透するにはもう少し時代を待たないとなりませんでした。
以上の理由によりまだ2001年当時、世界のエージェントがアジアでの販売戦略を日本に向けるのは自然であったのだろうと思います。
その流れの中で、極東の真夏の大型ロックフェスティバルが日本にあるということ。これが段々認知され通算5回目にして実を結びました。
英国のトップフェスティバルであるグラストンベリーが牧草保護のため数年に一度入れるお休みが重なったこともあり、特に英国のアクト、ブッキングエージェントが日本に目を向けることは容易に想像がつきます。
この英国の最高峰フェスで直近でトリを張る活きのいいバリバリの現役バンド、(おそらく今考えると3バンドともキャリアの最高到達点での来日だったのではないかと)オアシス、マニックス、トラビスが揃い踏みする破壊力抜群の並びが実現することとなりました。
今考えても当時の時代背景を考慮すると、とんでもない面子だと思います。
更に、ニールヤング、エミネム、TOOL、SOADですからね…。緩急取り混ぜた現代含む最高の面子だったのではないかと思います。
グラストンベリーがお休みだった年はその後何回もありましたが、アジア情勢とのミックスアップ相乗効果が発揮されたのが2001年最大の特徴といえます。

フジは競争相手でもある

これはサマソニにも言えることですが、この2000年代初頭の日本で開催されることの物珍しさによるポジな要因も経年で薄れていくことになります。
特にサマソニは日程が8月2週になるのか3週になるのかが千葉ロッテの日程次第なので、日程の確定が世界中のフェスと比べると遅いことになります。
ここでどのフェスと日程が被るかによって戦略がかなり違ってくることになるのです。これは大きなハンデですよね。
フジロックにしても最初は物珍しさで選択してくれるアクトも多かったように推測しますが、それが薄れてくるとシビアに出るか出ないかを判断されるようになります。
元々7月最終週は競争相手が薄いこともあり、世界的な視点でいうとフジが最大規模のフェスでありました。
その後、韓国や台湾、豪州を巡るツアーでも組むことが出来れば効率的に回ることが出来、アーティストにも旨味がある計画となるのでした。そんな傾向が見て取れたのがこの時代の特徴であるといえます。
Number55