エルレガーデンとはフェスに出るたびに評価をあげ序列をあげ遂には日本トップにまで上り詰めた人気を誇るゼロ年代を代表するロックバンド。

ロゴス(LOGOS)

エルレガーデンの躍進とフェスの連動

出演回数:20 回

  • カウントダウンジャパン / CountDownJapan >> 5 回
  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 5 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 4 回
  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 3 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 3 回

瞬く間に人気バンドに

フェスにラインアップされるようになってからあっという間に上り詰め、その日の日本のバンドのトップにまで上り詰めたという印象しかありません。
結成わずか4年でまずはライジングサンのセカンドステージ早い時間に配置されました。インディーデビュー翌年のこと。
まあこのくらいのスパンなら割と他でも聞く流れではあります。
スタジオアルバム1枚での抜擢となりました。
結成からしてここのポジションを狙っていて一直線に進まないとここまで行かないのは明白。
というのもメンバー個人個人を見てみるとかなり高年齢(失礼)での活動開始なので、ある程度視野に入れてないとこうは上手くいかないと分析します。
活動初期なので当然のように活動ペースは速く、フェス出演は2004年からは毎年のように邦楽フェスに出演しています。
それでも2004年のロックインジャパンはセカンドステージの頭から2番目。しかしながらここから躍進が始まり、翌年にはセカンドステージのトリにまで序列を爆上げします。
この間なにがあったかというと米国の同系統の音楽を志向しているSUM41の日本ツアーの前座に大抜擢されていました。
アルバムもこの時点で4枚リリースされフェス出演後の秋にリリースされたアルバムがオリコン首位になるという快挙を成し遂げました。
同年の2005年に洋楽系フェスサマソニに初登場。洋邦混成ステージの邦楽アクトで最もいい位置に配置され躍進が予感されることになりました。
この辺でこれからやばくね?という雰囲気満々でしたが、これが翌年の米国盤の発売や海外ツアー、幕張メッセでの単独ライブで爆発した感がありました。
国内アクトで幕張を埋める人達はごくわずか、トップバンドの仲間入りといっても過言ではなくなりましたね。
この時点で国内フェスはメインステージでないと収容できないレベルになっていたと思います。
2006年のサマソニは唯一のメインステージの邦楽アクトとして凱旋。早い時間の登場でしたがマリンスタジアムが満杯だったのが記憶にあります。この日一番埋めたかも…。
そして2007年のロックインジャパンでは初日のトリを務めました。もうフェスの顔にまで成長したということです。
同じ年のサマソニではかつて前座を務めたSUM41と同じセカンドステージの準トリのスロットに配置されその勢いをまざまざと見せつけることとなりました。
そして2008年、遂にフジロックの舞台に。メインステージの雨の中の熱演で話題となりました。なぜなら直前に活動休止を発表していたからなわけですが、休止を惜しむかのように観客が押しかけました。
このころには珍しかった雨具も持たない若いコがびしょ濡れになりながら会場を歩いていた記憶が強いですね。
それから10年…。
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