奥田民生~3つの草鞋それぞれで大成功した日本音楽界のもはや重鎮的存在

ロゴス(LOGOS)

奥田民生、ユニコーン、パフィーの産みの親、それぞれで最大限の評価を受ける天才

出演回数:47 回

  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 14 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 13 回
  • カウントダウンジャパン / CountDownJapan >> 12 回
  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 7 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 1 回

ユニコーンなにそれ美味しいの?

などという若いコが一時いたように思いますw
バンドから独立し、ソロとしてバンド時代以上の、90年代半ばからはCDが売れに売れた時代背景もあり大成功を収めていました。
さらにまるで片手間のように始めたパフィーへの楽曲提供、彼女達のパブリックイメージを形成するのに本人達のタレント性以上に民生節がかなり干渉しているように感じます。
そちらの方面でもある意味ソロ作品以上の評価とセールスを記録してしまいました。
ここまでくると何でも出来て何やっても成功するかのような職人のような存在となっていきました。
…というのが大まかな流れでややもするとユニコーン時代が色褪せたような時期があり、それが冒頭の発言につながるのではないかと。
しかしながらユニコーン当時を知っている人は、やはりその圧倒的高次元の音楽性、演奏力、メンバーそれぞれのパーソナリティなども相まって、奥田民生個人の活動での大成功もまあ当然でしょくらいの姿勢でいたと思います。(個人的にそうなので)
むしろ同じ時代に生きていながら、その先鋭性に気付かなかった己の見る目の無さを嘆けよ、くらいになってましたねw
当然のように各フェスとの親和性も高く、洋楽系のメインステージに放り込まれても全くの違和感もなく飄々とヒット曲を演奏していたのが印象的です。
それはそれで各フェスの方向性を音楽で示してくれるある意味安心安全なアーティストなのでしょう。

ヒロシマ

広島出身のアーティストや芸人などは様々な分野で存在していますが、郷土愛が一入強いように見えるのは気のせいではないでしょう。
それは広島がもつ地域性なのかその歴史の悲劇性がもたらすものなのかは定かではありませんが、たとえば横浜出身の人がその地を離れてもマリノスやベイスターズ愛が溢れ出すのかというとそうでもないように思うのです。
広島(多分に福岡も)の街や人、カープやサンフレッチェ愛を遥か遠い地から発信する人の多いこと多いこと。
さらにいうと熱狂的w
それは昨今のカープが無双のようになった時代以前からヒシヒシと感じていたもので、いまは妙にポップになっていて市民権もありますが昔はもっとドロドロしていたように思います。(個人の主観ですw)
民生さん自体も親が左側の位置に属する偉い人のようですので広島が持つ対世界をも巻き込む問題へのシンボル的存在の側面をかなり本質的に理解されているように思います。
作品を紐解くとちょいちょい隠れたヒロシマが出てくるのがさすがだと思います。
避けて通っちゃいけないですよね表現者なんだから
Number55