クラムボンとはソロ活動でもそれぞれ定評のある音楽的偏差値の高い3人の集まりで、特段のマスに向けたヒット曲はないが独特の存在感を出し続けるバンドのひとつです。

ロゴス(LOGOS)

クラムボン的な音で通じるのはちょいと凄い

出演回数:21 回

  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 8 回
  • 朝霧JAM / AsagiriJam >> 4 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 4 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 3 回
  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 2 回

全てが強い

クラムボンみたいな曲だね!とか、ああクラムボンみたいな曲だね!とか原田郁子的な声の出し方だね!とかある種の音の雛形となり中心に位置しているバンドであると言えます。
クラムボン以前にも似たようなバンドは存在していたようで実はそうでもなかったり。特に日本ではバンド形式では意外と思いつかないかも。
「クラムボン」というバンド名の柔らかさがそのまま音に落とし込まれていて、全体のイメージ作りから既にメンバー3人の高次元でのそれぞれの音楽性の融合が果たされているところが凄いところでありまして、音楽学校出身のバックボーンを抜きにしても奇跡的な才能の集まりであると言えます。
音のみならず原田郁子的なルックスというのも2000年代では割と巷で(非常に狭い世界ですが)通用するところがあり、一種の流行のようになったりしていました。
オーガニックな音にオーガニックな見た目という正にある種の塊のようなイメージ戦略があって、そこに神輿のように担ぎ出されていたバンドではなかったかと回想するところです。
温暖化の概念が浸透した社会にある意味必然のように現れた概念を体現したバンドではなかったかと。まあ現在進行形なのですが。
時代が求めた音、それが具現化したのがクラムボンなのではないでしょうか。世間的な自然回帰の動きが強まるにつれ、クラムボンは存在がより明確にシャープになっていったバンドなのでありました。
それはフジロック的なモノ、朝霧ジャム的なモノと一気に合致。ある意味クラムボンはこれらの人工調味料薄めのオーガニックなフェスの象徴となったのでした。
そして相互に良好な関係を築き、共に共鳴し音楽業界のみならず社会の中での独自の存在感を世に示したのでありました。
震災直後にバイタルサインのような曲をいち早く届けられる感性の鋭さもまた2000年代に熟成された価値観の賜物であり、ネットでの発信という速報性をも先取りしたバンドであったと思います。
主要フェス初参戦は意外にもロックインジャパンフェスで2002年のことになります。ポラリス前というところにらしさが溢れているのではないでしょうか。
2003年の初参加のフジロックホワイトステージはある意味フジロックの完成形のようなメンツの中に放り込まれていて今眺めてみても幸せなステージ構成だったなと述懐しちゃいますね。
OOIOO→クラムボン→ROVO→ヨラテンゴ→くるり→レモンジェリー→ORB→モグワイという…。完璧じゃね?w
ずっとホワイト固定でいいやと思わせる中に配置されたのはクラムボンのイメージを決定付ける並びとなりました。
Number55