BeatCrusaders通称ビークルと夏フェスとの親和性の高さは全くもって異常と言わざるを得ずフェス特化の高性能バンドとしてのポテンシャルをまざまざと見せつけました。

ロゴス(LOGOS)

こいつはまさにヒットインジャパン

出演回数:22 回

  • カウントダウンジャパン / CountDownJapan >> 6 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 5 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 5 回
  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 5 回
  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 1 回

ライト層もコア層も惹きつける音楽性

メジャーで本格的に活動を始めた2003年の翌年にはロックインジャパンのステージに登場。元々がっつりと音楽活動に浸っていたメンバーで結成され、中心メンバーに至っては30歳を越えており特定の目標の元結成されたことは容易に想像が付きます。
ビークルといえばメディアに出る際のドット絵のお面のイメージですが、そういった戦略を見るに辿り着きたい場所まで最短距離で進んでいたバンドだったのではないでしょうか。
実際に演奏するときはお面は外して素顔を晒しているわけですが、映像作品になるときちんと加工して隠すという周到さ。
メディア戦略を重視してバンドのイメージを固めるまさにネット時代だからこそ成立するしたたかさの姿勢が感じられます。
インディーズ期の活動開始年が1997年。くしくもフジロックが始まったフェス元年と合致するわけですが、その影響は少なからずあったのではと思います。
目指すべき場所としての夏フェスの舞台、市井のバンド界隈の雰囲気も少し違ってきたのではないでしょうか。
ビークルもフェスに出始めた2004年から解散する2010年まで毎年複数のフェスかけもちで出演するほどの親和性の高さを発揮しました。
フェスといえばビークル、ビークルといえばフェスと呼称しても差し支えないほどの活躍ぶりでした。
その一度聴いたら忘れられないくらいどポップな分かりやすい音楽性とビジュアルイメージ。(全てのライブがそうなのかは分かりませんが、一度見ただけなのでw)エンディングは必ずクラッシュのトミーガンの一節を挟むなど音楽的偏差値の高さを垣間見せるなどライト層もコア層にも見ていて耐えられるステージを作り上げていました。
若者ほどの無垢な初期衝動があるわけでもなく、年老いて枯れた嗜好を全面に出すわけでもなく世代的にどちらにも偏れない悲哀を上手く音楽に落とし込むその姿勢が評価されたことが彼らを一躍人気バンドのトップに押し上げました。
簡単にやれそうでいてなかなか難しいことだったと思います。
世はまさにネットが一般に普及する過渡期の時代でもあり、これにきちんと対応出来るかどうか。バンドに限らず一般のどんな分野でもその新しい時代への対応力が試されていたのだと思います。
この時期に台頭してきた企業、音楽に限らずあらゆる表現活動がインターネットによって新たに形成された集合意識を横目でチラチラと見ながら自らの立ち位置を確保していたのでした。
その象徴的な存在がビートクルセイダーズというバンドであったと我々は記憶するのです。
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