くるり~90年代後半の日本シーンをけん引し各フェスに必ず名を連ねるような活動をしてきました

ロゴス(LOGOS)

くるりが刻んだ90年代後半の東京の景色がスタンダード

出演回数:45 回

  • カウントダウンジャパン / CountDownJapan >> 14 回
  • フジロックフェスティバル / FujiRockFestival >> 9 回
  • ライジングサンロックフェスティバル / RisingSunRockFestival >> 9 回
  • ロックインジャパンフェスティバル / RockInJapanFestival >> 9 回
  • 朝霧JAM / AsagiriJam >> 2 回
  • サマーソニック / Summersonic >> 2 回

フジロックではある意味ルーキー初期メン

いや古参というべきかw
苗場で初めて開催された1999年、まだルーキーという名前がついていない小さなステージでニューカマーという形で彼らが出ていました。
99年当時の日本のシーンはというとCDがメガセールスを記録しミリオンアーティストが続出し、ある意味アンダーグラウンドシーンとは乖離した状況でしたが、くるりやスーパーカーやナンバーガール、ゆらゆら帝国など音楽的な共通点は別にしてこれらのバンドが塊としてシーンに一斉に登場し活況を呈している時代でもありました。
個人的に思うこととしては80年代の日本のバンド達は当時の空気をよく知っているおじさんが聞くものであって、若い人が予習的な勉強という形で遡って聞くような類のものではないという持論があるのですが、翌年にフジロックでトリを張るミッシェルガンエレファントやブランキージェットシティ、そして上述したバンド達は問答無用で若い人が日本のロックの基礎知識の形できちんと聞くべき存在であると思います。
要するにこれらのバンドは一般教養で、RCなどは専門課程的なノリですかね。
くるりを端的に評価すると以上のような理論武装をしてしまいます。ここテストに出るからな~!

京都人とイギリス人は似ているのか?

くるりといえば東京ですが、元々京都で結成されたバンドであり、京都人の美意識多めな感じで音楽が構成されているように思います。
例えば大阪人が歌う東京は首都への対抗心はありながらも憧れが隠せない感じになりますが(大阪で生まれた女やさかい~悲しくて悔しくて~などなど)、くるりが歌う東京はちょっと斜に構えた「いい意味での」京都と東京の関係性がすごくよく分かる形で表現されていると思います。
本音は出さない、行間に上手く染み込ませるといった手法とでも言いますか。憧れではないんですけどね。
失礼ながら皮肉を込めてあえて言いますが、こういったウィットに富んだ感情表現は京都人とイギリス人と、似ていると感じます。
かつて栄華を誇った大英帝国と長らく永遠の都として栄えていた京都、スケールは違えど置かれている立場は同じ。
対象はアメリカだったり東京だったりしますが、かつて自分達がそこにいたことを現代に生きる人は知らなくても細胞レベルで知っていて、寂寥感だったり失望だったり憧れだったり、それでいて先駆者のプライドだったりと複雑な感情を抱いているのでしょう。
そういった人達が作る音楽が独特に響くのは必然とも言えます。
周りにいると面倒くさいですけどねw
Number55