2011年のロックインジャパンフェスティバルが12度目の開催にこぎつけました。震源に近い茨城県の開催は震災の影響を色濃く残していました。

ロゴス(LOGOS)

2011年の特別な夏フェス週間

2011-08-05

グラスステージ/GrassStage

レイクステージ/LakeStage

サウンドオブフォレスト/SoundOfForest

シーサイドステージ/SeaSideStage

ウイングテント/WingTent

2011-08-06

グラスステージ/GrassStage

レイクステージ/LakeStage

サウンドオブフォレスト/SoundOfForest

シーサイドステージ/SeaSideStage

ウイングテント/WingTent

2011-08-07

グラスステージ/GrassStage

レイクステージ/LakeStage

サウンドオブフォレスト/SoundOfForest

シーサイドステージ/SeaSideStage

ウイングテント/WingTent

2011年に開催する意味

震災から5か月後に開催されたロックインジャパンフェスティバル。今になって思えばコロナ禍と違い日々状況が違うことに右往左往することはなく、ただ震災から日の浅い時期に開催していいのだろうか?という葛藤だけが問題となったのでした。
特に震源地に近く県としても多大な被害を受けた茨城での開催、さらには国有地という特殊事情もあり開催が危ぶまれたこともありました。
平成に入って2度目の大震災だったこともあり震災への対応自体は国全体でしっかりと対応出来たと思いますが、原発事故がまさに想定外で探り探りの後手後手対応で状況は流動的となりました。
下手したら関東壊滅からの日本崩壊のシナリオさえあったのではないかと推測します。
そこまでは大袈裟にしても帰宅困難区域がもっと広がっていた可能性は多分にあったのではないかと。
いわきや相馬辺りまで範囲が広がっていたとしたら移住者の住まいの確保だけでてんやわんやで日本各地の夏イベントは吹っ飛んでいたと思います。
いや実際はそこまで影響を受けるような範囲での汚染であったかもしれませんが、そこは直ちに影響がないの魔法の言葉で乗り切るしかなかったわけです。
折しも政権交代中の民主党政権。傍から見てもギクシャクしていた官僚との溝が邪魔をし適切な対応がすぐに出来なかったことが被害を広げた一面もあったと思います。
一般的な市民レベルでの雰囲気では一刻も早く粛々と経済を回そうという動きもあり、イベント開催に対しては概ね好意的でありました。
中には自粛厨がいましたが、大儀の前にはかすむ行為でした。
結局のところ震災地ズバリ直結かつ日程的にも翌月だった宮城のアラバキフェスが延期になった以外は殆どの常連フェスが例年通りの開催となったのでした。
そのアラバキも8月に代替開催となり多少のセンシティブな雰囲気のフェスとなりましたが、例年通りの祝祭空間を演出することに何ら変わりがなく、それはどのフェスにも共通していました。
必要以上に震災の影響を意識することなく正に文字通り粛々と開催されたのでした。
鎮魂は心に中に潜めさせ、生きている人は高らかに生を謳歌する。当たり前のこの光景に心が動かされる。2011年の夏フェスここにありて。

2011年の邦楽事情

マルマルモリモリがある意味通年のヒット曲として記憶されているのがこの2011年なのではないかと。
万人が認めるヒット曲が少なくなってきた時期に突入してきました。
その中でも新進気鋭のアクトといえばバックナンバーなのではないかと。早速この2011年のロックインジャパンに初登場。
以後各フェスに精力的に出場し日本のロックフェスに欠かせないピースとして10年代の邦楽シーンを引っ張る存在となりました。
Number55